19世紀後期にフランスで制作されたカップのセット。蓋は有りませんが、マトリョーシカのような入れ子構造になっています。入れ子のコップ(ネステッド・カップ)と云えばトラベル・カップと呼ばれる携行用の金属製容器がその典型ですが、こちらはそれらとは一線を画した非常に手の込んだコンセプチュアルなコレクタブルです。
先ずはその全体に用いられている群青の釉薬をご覧ください。
「トゥールの青」と称されるセーブル・ブルーの銘色なのですが、カップ下段から上部の口縁に向かって、滑らかでほぼ黒に見える深い群青から、頂上の鮮やかなラピスラズリ・ブルーに至るグラデーションで仕上げられています。
このセーブル・ブルーの上質な釉薬によって百年を超えてなお、極めて美麗な風貌が維持されており、良い意味で古さを感じさせません。
その上から金彩とエマイユ彩による絵付けがされていますが、これらは全て手仕事で施されたもの。
その精緻な様子だけで製作者の腕前を雄弁に物語ってくれます。
純粋にネステッド・カップとして鑑みても十分に美しい一品なのですが、描かれている絵柄がフランスの紋章で、組み合わせにも明確な意味があと思われます。
(以下、図柄の詳細です。写真と合わせてご覧ください。)
先ず一番大きなカップに金彩とザンギーヌ釉薬で描かれているのは炎に捲かれながら火を吹くサラマンダー。王冠をその頭上に戴いています。
サラマンダーは両生類のサンショウウオを意味しますが、中世ヨーロッパにおいて「焼け跡から生まれる」との伝承から、世界を構成する四元素(火・水・風・土)の「火」を司るとされていました。
貴族家の紋章にも通用されますが、16世紀にフランス・ルネサンスを成就させたフランス・ヴァロワ朝の王フランソワ一世が自身の象徴として好んで用いたことで知られ、こちらに描かれているのもフランソワ一世のサラマンダーです。
次に中サイズのカップですが、雲母に似た煌びやかな白銀の釉薬で白鳥が描かれています。
サラマンダーと同じくその頭上には冠が戴かれていますが、注目すべきはその胸元で、なんと矢で貫かれています。
スコットランドの紋章に見られるモチーフの一つですが、この「矢で貫かれた白鳥」はフランス・ヴァロワ朝の王女クロード・ド・フランスの象徴として知られています(自身のモチーフとして使っていたわけでは無いようです)。
彼女は上述したフランソワ一世の第一王妃でもあります。
最後は一番小さなカップ。三つの中で特に精密な絵付けがされています。
描かれているのは王冠を戴いたヤマアラシの紋章。
このモチーフで知られているのはフランソワ一世とクロードの子...ではなく、クロードの父親である先のフランス王、ルイ十二世。
つまりこちらの三点セットは王様と王妃と先代の王様、言い換えれば息子(娘婿)と妻(娘)とその父親(舅)となるわけです。ですが、なぜ息子(より年若)であるフランソワ一世が一番大きなカップなのでしょう?
これにはいくつか理由が考えられますが、一つにはそもそも紋章というものは婚姻によって各々のモチーフが混ぜ合わされ、代が下る(子供の代)ほど先代よりも一層複雑且つ雑多に=「大きく膨らんでいく」という性質を表しているから、と捉える事が出来ます。
また、紋章は貴族の血筋(家柄)のデータバンクとして実際的な役割と機能を持っており、一つの紋章からその先祖を容易にさかのぼることが出来るという構造になっています。
それを逆手にとって、ヴァロワ朝の王権がフランソワ一世にすべてが集約されていく様子(フランソワ一世←クロード・ド・フランス←ルイ十二世の順で継承されていった流れ)をカップの意匠に落とし込んだものとも考えられます。
受け継がれると同時に入れ子の如く内包される王権は、紐解くことでその継承の経緯(=紋章)を遡ることが出来るわけです。
上質なコレクタブルであることは言わずもがな、コンセプトにもウィットと捻りの効いた※面白い作品といえます。
こちらを製作したのは19世紀後期フランスの陶芸家ギュスターブ・アッシュ。
南仏サン=ラドゴンドを拠点に制作活動を行い、当品の様なセーブル・ブルーと金彩・エマイユ彩を合わせた美麗な品々を数多く生み出しました。
また彼は伝統的釉薬の深い知識と絵付けの腕前で評価されており、キャリアの最晩年には北フランス・ピエールフォンで当時新進気鋭の陶器工房であった後の銘窯「La Faiencerie Heraldique de Pierrfonds※」に技術指導者として招聘され、後身の育成にあたったことでも知られています。